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ランガム・ホテルは 1865 年6月 10 日にロンドン初のグランドホテル
として英国皇太子(後の国王エドワード七世)によって開業しました 。 |
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このホテルは1年3ヵ月の時間と 30 万ポン
ドをかけて建設され、最高の豪華さであると考えられました。ホ
テルは7階建てで、大理石や絹、1万 5000 ヤードものペルシア
の織物、手描きの壁紙で贅沢に装飾した共有スペースもありました。 |
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熟練した職人がイタリアから呼び寄せられ、石膏
レリーフの 天井を制作 、白と金色と緋色に装飾された細やかなモザ
イクが床に施されました。 |
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建設に携わった人たちは、ランガム・ホテルがロンドン最大の建物
であったといっています。エドワード・ウォルフォードは後に「古く新しきロンドン」
と題した1文でそのホテルを「怪物ではなく、レビヤタンの類のもの」と表現していま
す。高さ 156 フィートで、全部で 10 のフロアがあり、セラーを含めて3つの地下室
を有し、客室とスタッフ用の部屋の両方を合わせ 600 もの部屋がありました。 |
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技術的にはこのホテルの建物は、蒸気ポンプで汲み上げる深堀り
井戸や、冷温両方の水道 、ベッドルームの水洗トイレ、空調、世界初の油圧式 エレ
ベーターを備えた素晴らしいものでした。 |
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英国皇太子がランガムをご愛用されていたことから、王族
や首脳陣らがランガムを訪れ、部屋を借りるようになったのは自然なことでし
た。 また、亡命中の元国家元首もランガムで丁重なもてなしを受け、皇帝ナ
ポレオン三世もフランスから追放され最後の亡命の日々の多くもランガムで
過ごしました。 |
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当ホテルの最も有名な宿泊客は、ロマン派小説家のマリア・ルイー ザ ・
ラミー(筆名ウィダ)でした。 1867 年に 28 歳の彼女はランガムに投宿して以来、1887
年にかけての長い間に渡って、当ホテルを訪問しています。ウィダは ランガム で長年に
渡ってエキゾチックな生活を送り、ベッドに横たわったままで客を迎え、原稿を何十本も
の蝋燭の光の中で書いていました。「ふたつの旗の下で」や「イダリア」、「トリコトリン」、
「パック」は全てランガムで書かれた作品です。 |
| 8. |
1879 年にチャールズ・ディケンズは、「旅行代理店はこ
こ数年で、ロンドン経済で重要な位置を占めるに至っている。このシステム
は当初、トーマス・クック氏親子によって作り上げられたものである」と記
しています。ランガムの鉄道切符・船舶事務所は当然ながら、トーマス・ク
ック氏親子の代理によってロンドンで運営された最初のものの一つです。 |
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1879 年には、ランガムの玄関と中庭に電灯が燈され、
全ての寝室に新式の照明器具が備え付けられました。その際にはホテル
の3ヵ月分の利益に相当する 5,000 ポンドもの費用が投じられました。 |
| 10. |
ビクトリア時代はランガムに平和な日々をもたらしました。そして、
「シーズン」中のランガムガイド 1887 年版では「毎日 1,000 ポンドの肉が切られ、
800 足のブーツが 40 人の靴磨きによって磨かれる」としています。 |
| 11. |
作家、ハワード・ポールは 1890 年にパーム・コートについて「椰子の木や糸杉、
絵のように美しく、羽根のような緑の植物で飾られた広々とした中庭で、まるでキュー・ガーデン
が都会の建物を生き生きとさせるために紛れ込んだようだ」と記しています。 |
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劇作家で詩人オスカー・ワイルドは常連客で、マーク・トウェインやサマーセット・
モーム、ジョージ・オーウェル、指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニ、作曲家のアントニン・ドボルザ
ーク(交響曲第8番ト短調)もそうでした。 |
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当ホテルはまた、悪名高い客も魅了しました 。
ランガムに宿泊するということは、社交界入りしたことの印でした。
19 世紀末の競馬詐欺師カーとベンソンの 2人の場合、弁護側の証人
は「私は彼が完璧な紳士だということを知っていました。なぜなら、
彼はランガムに泊まっていたからです!」と主張しています。
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ランガムは技術革新について行き 、 1890 年代に
ホテルに電話を引き、その番号はロンドン 3571 番でした。その後、
7回線の電話交換所が設置され、電話番号はメイフェアー 5080 番に
変更されました。やがて、ホテルの名声のために、その地域全体の交
換局は「ランガム」と名づけられ、ホテルは 20 の電話回線と電話番
号 20809 を与えられました。 |
| 15. |
音楽界も常にランガムを愛用していました。第二次世界大戦中に
破壊されたクイーンズ・ホールはロンドンのトップ級のコンサートホールでした。
クイーンズ・ホールはロンドン交響楽団の本拠地であり、ランガムから通りを1本
隔てただけの場所にあったため、サー・ヘンリー・ウッドら著名な指揮者は当ホテ
ルで注目を浴びていたものです。 |
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1904 年には、ランガムの1室の宿泊料は9シリング(45 ペンス)
で、スイートは 29 シリング(1.50 ポンド)からでした。 |
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1919 年には、当ホテルでジョン・オルコックとアーサー・
ブラウンによる初めての大西洋無着陸飛行の祝賀パーティーが開かれました。 |
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米国のジャーナリスト、ヘンリー・スタンレーはリビングストン
博士 を探しにアフリカに旅立つ準備をする間、ランガムに滞在しました。 1993 年
には、デービッド・リビングストン博士 のひ孫は、ランガムから曽祖父のアフリカ
での足跡を辿る旅に出ています。 |
| 19. |
1930 年のパンフレットには、「ランガムの寝室はただ休息のため
の場所ではなく、最も魅惑的なマットレスと枕があなたを心地よい眠りに誘う場所で
す」と記されています。 |
| 20. |
上品で礼儀正しいノエル・カワードは、第二次世界大戦前の演劇
での成功し、「マッド・ドッグズ・アンド・イングリッシュメン」のようなウィットに
富んだ 歌を手がけていた際に、頻繁にランガムのスイートに宿泊していました。 |
| 21. |
サー・ドナルド・ブラッドマン(最も有名なクリケ
ット選手)とオーストラリアのクリケットチームは、 1930 年代にロー
ズ・クリケット場とオーバルでアッシュ戦が戦われた際に、ランガム
を宿泊先に選びました。 |
| 22. |
ハイレ・ セラシエ は 1936 年、ランガムに宿泊す
る2人目の 亡命中の皇帝 になりました。彼は 1941 年に英国軍がム
ッソリーニとイタリア軍を彼の祖国であるエチオピアから駆逐するま
で、エチオピアの 帝位「ユダのライオン」に復位 できませんでした。 |
| 23. |
ランガムはまた、ウィンザー公と交際中のウォーリス・シンプソ
ン夫人も歓迎しました。彼女のランガムへの訪問と、それに続いて生まれた「世紀の
恋」は成熟したホテルだけでしか求められない思慮深さを必要とするものでした。 |
| 24. |
退位の後、ロンドンの関心は来るべきウィンザー公の弟、
ジョージ五世の戴冠式に集まりました。ランガムは1週間に渡る祝賀行事を
計画し、戴冠式前夜の1937年5月11日の戴冠式奉祝晩餐会の料金は「非常に
高い」 15 シリングでした。 |
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| 25. |
自由フランスレジスタンスの指導者に自任し、最終的には
フランス大統領に就任することになるシャルル・ドゴール将軍が、短い間ラ
ンガムに滞在しました。 |
| 26. |
第二次大戦中には、英国のウィンストン・チャーチル首相
とドゴール将軍、米国の従軍記者、エド・マローがランガムからラジオ放送
をしたと言われています。 |
| 27. |
第二次大戦中直間接に受けた爆撃の度重なる影響で、ランガムは1940
年代に一般には閉鎖されました。しかし、ランガムホテルは英国放送協会(BBC)のスタ
ッフとそのゲストのためのホテルとして営業を続け、ボリバル・レストランも存続しました。 |
| 28. |
BBC が1965 年に当ホテルをランガム・ホテル・カンパニーから買収し、
BBCクラブはランガムに移転しました。それから長年に渡り、ランガムのパーム・コートか
らBBCのラジオ番組、「パーム・コート」が放送された間、俳優や政治家、作家などの著名
人が通り向こうにいるプロデューサーの求めに応じて出演できるように、あるいは出演後
に集まっていました。 |
| 29. |
1986 年に BBC が英国国会の承認と、歴史ある建築物の保守
と修復を担当する政府機関であるイングリッシュ・ヘリテージの祝福を受けて
当ホテルを売却した際に、修復の対象となりました。 |
| 30. |
再建中に当ホテルは、「ランガム再建計画は、ロンドン最初の偉大
な豪華ホテルを、本来の雰囲気と壮大さを再現するという刺激的な挑戦である。1991
年の完成時には、ランガムはそれまでの10年間でロンドンに開業する最も豪華なホテ
ルとなるだろう。ランガムは伝説である。その名は、優雅なもてなしの代名詞である」
と評されています。 |
| 31. |
1億ポンドと4年間の時間を費やした後に、当ホテルは1991年3月4日、
再オープンしました。驚くほど精巧に復元された建物のどの部分もが、ビクトリア朝の先人
達が誇りとする熟練した匠の技ばかりです。大理石と金箔、絹、マホガニーの世界の古きエ
レガンスは、ロンドンのウエスト・エンドの街角で優雅なおもてなしと歴史が出会う場所と
して現実の世界によみがえりました。 |
| 32. |
1991年にはダイアナ皇太子妃が当ホテルを訪問しました。ケ
ント公妃とエジンバラ公も訪問したことがあり、当ホテルは現在でもヨーク公妃
セーラのお気に入りです。最近、当ホテルを訪れた著名人には、シャーリー・
バッシーやロッド・スチュワート、デービッド・ハッセルホフ、リッキー・レイ
ク、エルトン・ジョン、フィル・コリンズ、ロッド・スタイガー、リチャード・
ギアなどがいます。 |
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当ホテルはクーボアジエによって「最高級のうちの最高」に選ば
れ、現在は「リーディング・ホテル・オブ・ザ・ワールド」のひとつ、そして4つ
の大陸で拡大を続けるランガム・ホテルズ・インターナショナルのフラッグシップ
ホテルとなっています。 |
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ロンドンの歴史あるランガム・ホテルから命名されたランガム・ホ
テルズ・インターナショナルは、伝統的なエレガンスとイノベーション、本物のおも
てなしを提供するデラックスホテルの保有や経営への取り組みを再び強め、現在では
ランガムブランドの6つのホテルを4つの大陸で運営しています。 |
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